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祖父 吉本武之助 (5)

武夫は太平洋戦争中、八束郵便局長のかたわら八束村農会副会長も務めていた。八束は水に浸かるからと、大方の加持、入野などにも田畑を拡げていたが、戦後の農地改革でそれらは不在地主として国に没収された。

昭和二十二年、武夫は六十八歳で局長をやめた。豊暖は親元を離れ、大阪逓信講習所に入れてからは人並みに逞しくなっていた。中村郵便局から戻してもらい、二十二歳であとを継いだ。

下田ノ口の実家も兄吉本亀太郎が昭和十八年に没し、息子廣末の代になっていた。武夫は下田ノ口には時々帰っていた。昭和二十一年十二月、南海地震の夜は実家に泊まっていた。未明の揺れで飛び起き、郵便局が心配だと言ってすぐに実崎に戻ったが、八束の被害はたいしたことはなかった。

甥の廣末は馬荷から嫁をもらっていた。中馬荷の矢野百馬の長女光子である。

光子の母は榮。同じ中馬荷の矢野良太郎の長女。良太郎の妻(榮の母、光子の祖母)は下田ノ口の徳広勝吉の娘多津(明治四年生)であった。

下田ノ口から見れば、当時の馬荷は今以上に「奥」という感じであったと思うが、何かの縁があったのであろう。矢野光子が吉本の家に来たのは、こうした多津の縁によるものである。

広多津は上林暁(徳広巖城)の家と親戚であったと聞いているので、入野の長泉寺で調べてもらった。

徳広勝吉(明治三十一年没)の家系は、三代前の悦之丞(安永九年没)から始まっていた。勝吉の後は、長次―本次―利政と続いたが、利政から下田ノ口を離れ、いまは屋敷跡しか残っていない。

徳広巖城の家は、父伊太郎の代は村長を務め、造り酒屋もやっていた「ふとい家」であったというから、古い家系であろうと思っていた。しかし、寺の過去帳では伊太郎の父伊作から始まっている新しい家であった。伊作は馬喰(ばくろう)だったという話が残っている。

伊作の代に蓄財したのだろうか。それにしては、伊作は伊太郎九歳の明治二十三年没。妻愛は大正十三年没なのに、上林暁の小説「父イタロウ」では、伊太郎は祖母に育てられたと書かれている。祖母とは誰であろうか。

寺の記録では徳広両家の関係はわからなかった。いろいろ調べてみたが、両家の近い関係者も地元にいないので、これ以上を知ることはできなかった。年代からみて、徳広伊作は勝吉の家からの分家かもしれない。

ところで、吉本の家に来た矢野光子の末の妹(四女)に五月(昭和二年生)がいた。戦中、入野の実科女学校に通っていた。矢野の家では三女が山口の軍需工場に勤労奉仕にやられていた。五月までも徴用にとられては大変と武夫に郵便局に入れてほしいと頼んだ。五月は実崎に来て、しばらく住み込みで働いた。渡し舟で川を渡るのが、えらく遠くにやられたようで寂しかったそうだ。

武夫は息子の嫁は身内から探したいと思っていた。五月は戦後、馬荷に帰っていたが、五月を気に入った武夫は話を進め、昭和二十四年、豊暖の嫁にもらった。

翌年孫の佳(このむ)が生まれた。これで次の跡取りもできた。昭和二十六年九月、武夫は生まれて一年たつ佳を「這いだしたねや」と満足そうな顔で見てから、不破の八幡さんの祭りに歩いてでかけた。

八幡さんから戻ると急に熱を出し寝込んだ。それからわずか一週間で息を引き取った。武夫は胆石持ちで酢の物が好きだったが、ほかに持病はなかった。高熱の原因は不明。それだけに医者が間違った注射をしたのではないかと言われたほどである。

その秋、武夫は八幡さんまでにあわただしく稲の取り込みをすませた。いつもより早かったので、なんでそんなに急ぐのか妻常野は不思議に思った。虫の知らせだったのだろう。

日露戦争で旅順の銃弾をくぐりぬけてきた勇士にしては、あまりにもあっけない死であった。七十一歳であった。二年後、次男の私が生まれた。

常野は昭和四十五年三月、風呂の中で心臓麻痺で死んだ。八十五歳。

豊暖は地元では「とっさん」、郵政仲間では「ほうだん」と呼ばれた。昭和四十年、八束局を近くに新築移転。同五十九年、五十九歳で退職。局長を職員の小野幸男さん(鍋島)に譲った。その後は気ままに暮らした。

八十二歳の時、長患いをしていた五月に先立たれた。その頃から、自分の両親は寝つかずポックリ死んだことをいつも自慢していた。自分はそんな系統だから、同じように逝けるはずだと。

私がこの文章のために、武夫のことをしつこく聞くと、面倒くさそうに「オヤジはあまり話さなかった」「覚えていない」と不機嫌になった。

豊暖は今年一月十一日、寝ている間に脳出血で意識を失い、市民病院に運ばれ、八日後逝った。前の日まで家で普通に生活していたのに。

武夫のことを聞いておくのにギリギリ間に合った。魍魎(もうりょう)のような祖父の輪郭が人間の顔になり、血筋の縦糸がつながった。

満足そうな八十八歳の父の顔であった。(終)  
             
                         
大形文芸学級「大形」280号   2014年5月



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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
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