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台風の思い出

台風9、10号が立て続けにやってきたが、九州西の東シナ海を北上したため、日本には大きな被害はなかった。特に10号では、過去に例をみない最大級の規模として、大騒ぎをした割には、肩透かしを食らった形になった。(韓国、北朝鮮は直撃であった)

私は地元に帰ってきて12年になるが、この間、幸いにもこれと言った台風被害がない。何度か、道や田んぼが水に浸かったことはあったが、たいしたことはない。

昔から、ここらは台風銀座と言われ、今の季節台風が来るには日常茶飯事であった。たびたび、付近に上陸した。

しかし、最近は台風の接近が少なくなった。今回は九州の西を通ったし、最近は土佐湾の沖を通り抜け、関西や関東方面に上陸するケースが多い。地球温暖化による海流温度の変化のためだという報道もあるが、どうなのか。

この季節、台風が来てくれないのも寂しい気がする。

というのも、子供のころの台風が近づいてくる時の胸の高まり、ゾクゾク感がなつかしいからだ。

子どもは台風を歓迎した。なによりも学校が休みになる。

遊びも増える。竹を切って風車をつくった。堤防の上に立ち、風上に向ければ、プロペラがブンブン回った。川は濁流で水位が高くなっていく。怖いというよりも、スリルでドキドキした。

大人たちも台風を楽しんでいた。ここらでは8月の盆までには稲の刈り取りを済ませるため、田んぼが浸かってもかまわない。

水が引いたあとの田んぼの水たまりには、逃げ遅れた鯉やフナがウロウロ。それを手でつかみとる。

川の淵には、ウナギが逃げ込む。長い竹の先に針にミミズを餌にして入れると、面白いようにウナギがかぶりつく。ズズグリ漁と言った。普通の竿でも、チヌなどが釣れた。

川辺には上流から木々や竹などのゴミが流されてくるが、その中には使える材木や板なども混ざっていた。それをあさる。

そんな刺激的で楽しい思い出ばかりだが、昭和38年8月の9号台風は心底、恐ろしかった。私が小学校5年の時だ。

川の水位がドンドン上がり、いつもと違う。大人たちの顔色が変わった。このままでは堤防が切れる。父は土砂降りの中、当時家で飼っていた牛を墓がある山の上に引っ張って行った。

夜になった。朝まで堤防がもつかどうか。家が流されるかも。2階で、ドキドキしながら、なかなか寝付けなかった。

知らぬ間に寝てしまい、朝、目が覚めると、家はそのままあった。ホッとした。少し上流の古津賀の堤防が先に切れたと聞いた。古津賀の人には申し訳ないが、そのおかげで八束は助かったのだ。

9月になり、学校が始まると、たくさんの衣類など救援物資が全国から届いていた。八束の被害は大きくなかったのに、中村など上流の被害が大きく報道されたためである。あの物資はどうなったのだろう。

大人になると社会的視野も広がり、まわりの事態も客観的に見える。台風のおそろしさを頭で受け止めることができるようになる。

中村市が合併で四万十市になった年、2005年(平成17年)9月、台風14号も約40年ぶりの規模であった。この時は、中村から上流、大川筋、西土佐で多くの住宅が浸水した。

私がいま住んでいる家には両親が住んでいた。玄関先まで水が来て、1階の畳を2階に上げた。私はその時大阪にいたが、リアルタイムの電話でドキドキした。

ここらでは洪水のことを「水が出る」と言う。
この時以降、大きな水は出ていない。

この年になると、このままであってほしいと思う。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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