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今こそ幸徳秋水の「非戦論」を

今こそ幸徳秋水の「非戦論」を

       幸徳秋水を顕彰する会 事務局長 田 中 全  67歳


いま日本のジャーナリズムは瀕死状態にある。いや、すでに死んでしまっているのかもしれない。ジャーナリズムは「社会の木鐸」であり、その最大の使命は権力の横暴を監視、批判することにあるはずである。にもかかわらず、安倍晋三政権の下、報道は政権におもねり、忖度を繰り返してきた。まるで権力の飼い犬のように。

現在がそんな状況だからこそ、権力に立ち向かった一人のジャーナリストを紹介したい。幸徳秋水である。

日露開戦の前年、1903年、「ロシア撃つべし」と新聞、世論が沸騰する中、幸徳秋水は堺利彦、内村鑑三とともに開戦論に転じた「萬朝報」を10月決然と退社、翌月堺と平民新聞(週刊)を創刊した。

秋水は燃えるペンで非戦論を展開した。「戰爭と道德」「兵士を送る」「戰爭の結果」「戰死者の遺族」「戰爭と新聞紙」「嗚呼増税」「列國紛爭の眞相」「戰時と非戰論」など。名文としても知られている。

1904年1月17日の代表的な論説には、次のフレーズがある。

 吾人は飽まで戦争を非認す
 之を道徳に見て恐る可きの罪悪也 
 之を政治に見て恐る可きの害毒也 
 之を経済に見て恐る可きの損失也 
 社会の正義は之が爲めに破壊され 
 万民の利福は之が爲めに蹂躙せらる 
 吾人は飽まで戦争を非認し 
 之が防止を絶叫せざる可らず

秋水は18 71年11月5日、高知県中村(現四万十市)に生まれた。土佐の自由民権の空気を吸って育ち、中江兆民に師事し、新進ジャーナリストとして活躍。自由・平等・博愛・平和を掲げ闘ったが、政府の激しい弾圧で「大逆事件」の首謀者に仕立て上げられ、1911年1月24日、39歳で刑死した。 

秋水の非戦論は反戦平和の原点であり、戦後、永久平和・戦争放棄の日本国憲法9条として結実した。

しかし、戦後75年たった今、安倍政権は解釈改憲によって安保法を成立させ、日本を「戦争ができる国」に戻してしまった。菅義偉新政権も安倍路線を受け継いでいる。

来年2021年は幸徳秋水生誕150年(刑死110年)になる。「幸徳秋水を顕彰する会」(事務局四万十市)では、これを記念し、先のフレーズを石に刻み、「非戦の碑」と呼んで、平和を愛し守る国民総意のシンボルにしたいと願っている。

建立場所は秋水墓がある浄土宗正福寺境内(四万十市)、時期は秋水の誕生日にあわせ、来年11月の予定。

費用に充てる寄付金を募集しています。詳しくは「幸徳秋水を顕彰する会」ホームページをご覧ください。

(秋水の論説にある旧字体は新字体に改めました。=編集部)

、「週刊金曜日」2020.10.2  「論考」

金曜日    金曜日


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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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