大阪都構想
11月1日、大阪都構想の是非を問う、第2回目の住民投票がおこわわれる。
私は12年前、地元にUターンして来る直前の4年半は大阪市民だったこともあり、この問題の行方には強い関心をもっている。
私が大阪市民だったころには維新の会というような政治団体は存在しなかったのに、いつの間にか橋下徹という変なヤツが現れアッと言う間に勢力を拡大してしまった。「身を切る改革」などと、耳障りのいい弁舌で、大阪人を扇動し、まるでヒトラーが登場してきた時のように。
大阪都構想は維新の会の看板政策であり、レーゾンデートル(存在意義)のようなもの。政令指定都市の大阪市と大阪府の二重行政の無駄を解消しようというものだが、その内容は漠然としたものであり、具体的イメージはだれも(維新自身も)もっていない。空想が独り歩きしているようなものだ。
都構想なるものは、維新の会の党勢拡大のための壮大なプロパガンダなのだから、具体的中身はないのである。住民投票の結果にかかわらず、名称は大阪府のままであり、大阪都になるわけではないのも、わかりにくい。
政令指定都市なら、大阪市だけでなく、横浜市、名古屋市、札幌市など、全国にたくさんある。二重行政が問題であるというのなら、ほかでも都構想が議論になりそうなものである。しかし、よそではそんな動きはまったくない。
大阪は維新の会の発祥の地であり、一定の影響力をもっているためという、大阪特有の現象なのだ。
大阪はかっては日本の経済の中心地であったのに、いまは東京にその地位を奪われてしまったことへの、ひがみや郷愁に対して、大阪人のプライドをくすぐり、また、うっぷんのはけ口として、耳障りがよいように聞こえるのである。
市民の間で、二重行政で困っているから、市と府を一つにしてくれというような要望や運動があるわけではない。普通、住民投票というものは、何かに不満のある住民がおこすものである。
今回の住民投票は、維新の会が上から押しつけたものである。しかも、4年前の住民投票は反対多数で決着がついている。
それを、案を少し変更しただけで(5区を4区に、など)、基本枠組みは変わっていないにもかかわらず、再度住民投票をやるというのは、ありえないことである。
もう一つ重要なのは、二重行政を解消するというのなら、大阪府をなくすのが筋である。憲法で定められた地方自治制度においては、地方自治の基本単位は市町村である。市町村は基礎自治体と言われている。
都道府県は国と市町村の中間的存在であり、建物で言えば中二階と言われるように、中途半端な存在である。どちらかと言えば、国に近く、国の出先のような機能・役割を果たしている。現に都道県知事の半数以上は総務省(旧自治省)など国の官僚出身者が占めている。本来なら、都道県のほうが不要な存在である。
大阪市がなくなれば、いまの大阪市の一般財源の3分の2は大阪府に吸い上げられてしまう。4つの区民が自由に使える財源は3分の1に減るのである。
大阪市は130年の歴史をもっている。昭和初期のころには「大大阪」と言って、東京市よりも人口が多かった。
長い歴史の中で積み上げてきた有形無形の貴重な大阪の資産をなくしてしまっていいのか。
一部の大阪市民は、維新の会の巧言にだまされ、二重行政が解消すれば、なにか生活がよくなるというような幻想を抱いているようだ。
しかし、もしそうなれば、大きな混乱の中で、市民サービスなどは確実に低下するであろう。こんなはずではなかったと、あとで後悔しても、元には戻らない。
大阪市のみなさんが、賢明な選択をすることを祈るばかりである。
私は12年前、地元にUターンして来る直前の4年半は大阪市民だったこともあり、この問題の行方には強い関心をもっている。
私が大阪市民だったころには維新の会というような政治団体は存在しなかったのに、いつの間にか橋下徹という変なヤツが現れアッと言う間に勢力を拡大してしまった。「身を切る改革」などと、耳障りのいい弁舌で、大阪人を扇動し、まるでヒトラーが登場してきた時のように。
大阪都構想は維新の会の看板政策であり、レーゾンデートル(存在意義)のようなもの。政令指定都市の大阪市と大阪府の二重行政の無駄を解消しようというものだが、その内容は漠然としたものであり、具体的イメージはだれも(維新自身も)もっていない。空想が独り歩きしているようなものだ。
都構想なるものは、維新の会の党勢拡大のための壮大なプロパガンダなのだから、具体的中身はないのである。住民投票の結果にかかわらず、名称は大阪府のままであり、大阪都になるわけではないのも、わかりにくい。
政令指定都市なら、大阪市だけでなく、横浜市、名古屋市、札幌市など、全国にたくさんある。二重行政が問題であるというのなら、ほかでも都構想が議論になりそうなものである。しかし、よそではそんな動きはまったくない。
大阪は維新の会の発祥の地であり、一定の影響力をもっているためという、大阪特有の現象なのだ。
大阪はかっては日本の経済の中心地であったのに、いまは東京にその地位を奪われてしまったことへの、ひがみや郷愁に対して、大阪人のプライドをくすぐり、また、うっぷんのはけ口として、耳障りがよいように聞こえるのである。
市民の間で、二重行政で困っているから、市と府を一つにしてくれというような要望や運動があるわけではない。普通、住民投票というものは、何かに不満のある住民がおこすものである。
今回の住民投票は、維新の会が上から押しつけたものである。しかも、4年前の住民投票は反対多数で決着がついている。
それを、案を少し変更しただけで(5区を4区に、など)、基本枠組みは変わっていないにもかかわらず、再度住民投票をやるというのは、ありえないことである。
もう一つ重要なのは、二重行政を解消するというのなら、大阪府をなくすのが筋である。憲法で定められた地方自治制度においては、地方自治の基本単位は市町村である。市町村は基礎自治体と言われている。
都道府県は国と市町村の中間的存在であり、建物で言えば中二階と言われるように、中途半端な存在である。どちらかと言えば、国に近く、国の出先のような機能・役割を果たしている。現に都道県知事の半数以上は総務省(旧自治省)など国の官僚出身者が占めている。本来なら、都道県のほうが不要な存在である。
大阪市がなくなれば、いまの大阪市の一般財源の3分の2は大阪府に吸い上げられてしまう。4つの区民が自由に使える財源は3分の1に減るのである。
大阪市は130年の歴史をもっている。昭和初期のころには「大大阪」と言って、東京市よりも人口が多かった。
長い歴史の中で積み上げてきた有形無形の貴重な大阪の資産をなくしてしまっていいのか。
一部の大阪市民は、維新の会の巧言にだまされ、二重行政が解消すれば、なにか生活がよくなるというような幻想を抱いているようだ。
しかし、もしそうなれば、大きな混乱の中で、市民サービスなどは確実に低下するであろう。こんなはずではなかったと、あとで後悔しても、元には戻らない。
大阪市のみなさんが、賢明な選択をすることを祈るばかりである。