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咲かずの藤

一條神社は土佐一條家を祭った神社であり、幕末の文久2年(1862年)に建立された。

先の関白一條教房が京都の戦乱(応仁の乱)を避け、一族を引き連れ中村に下向してきたのは応仁2年(1468年)。以来4代、約100年、土佐一條家は続いたが、その間には、一條神社はつくられなかった。

一條家が土佐を去ってから約300年後に神社がつくられた言われについては、神社階段横の藤棚の根本に立っている石碑「霊藤記」に刻まれている。

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土佐一條家4代目の兼定は、長宗我部元親に追われ、中村を去ることになる。その時、庭の藤の木に向かって、次の歌を残した。

 植え置きし 庭の藤が枝 心あらば 来ん春ばかり 咲くな匂うな

藤は主人の言いつけを守り、その後300年間花をつけることはなかった。しかし、文久元年(1861年)、突然咲いた。

中村の町人たちは、これに驚いた。それまで一條家を祭らずにきたことを反省し、翌年、資材を持ち寄り、神社を建立した。

文久年間といえば、幕末の騒乱記であり、勤皇・尊王運動が盛んになっていた時期である。一條家は天皇家とも婚姻を結んでいて、一体であった。

実際、この藤はいまでも少ししか咲かない。わずかに花びらをつけるだけである。その理由は、科学的に言えば、土壌の問題か、なぜなのかわかっていない。

藤の花は、中村市時代から四万十市の「市の花」になっている。毎年5月3日には、土佐一條公家行列「藤祭り」が開かれ、公家装束をまとった男女が藤の花をかざして、土佐の小京都中村のまちを練り歩く。

春は藤祭り、秋は一條さん。

中村は一條家とは、切っても切れない町である。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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