井原から小田原へ

 きのうの夜、9日ぶりに中村に戻って来た。
家を空けた目的は2つ。20日、岡山県井原市で行なわれた森近運平墓前祭に参加することと、26日、神奈川県小田原市で開かれた「脱原発をめざす首長会議」の今年度総会に出席すること。

2つの目的の間(あいだ)が、約1週間あいていたので、いったん中村に帰ってきてもよかったが、今はフリーで、どうせ時間はあるのだからと思い、大阪に住んでいたころの空家(妻実家)を中継基地にして、まだ行ったこのなかった飛騨高山方面にも、足を延ばすという、欲張ったスケジュールにしてしまった。全行程、車で(2人交代運転)。

私は普段、タブレット(携帯PC)を持ち歩いている。この間の日々の写真はFB(フェイスブック)には投稿をさせてもらったが、ブログは旅先では書くのが「おっこう」なので、しばらくお休みをいただいていました。(ごめんなさい)

 19日に中村を出て、高知市内に立ち寄ったあと、瀬戸大橋経由で夜、井原市に着き前泊。私は以前、岡山市に3年間勤務(1989~92)をしたことがある。広島県境にある井原市には仕事で何度も行ったが、市のはずれで、広島県福山市との、それこそ境界上の山の中、高屋地区にある森近運平の墓と記念碑を訪ねたことはなかった。当時は仕事に夢中で、森近運平の名は聞いたことがあったが、意識することはなかった。

森近運平は、いわゆる「大逆事件」(1910年)で幸徳秋水らとともに処刑され12人の1人(ほかに無期懲役12人)。当時わずか30歳。明治政府のでっちあげによる、この一大冤罪事件の犠牲者は全国に及んでいるが、墓前祭等の追悼行事を毎年行なっているのは、ここと、中村、新宮(和歌山県)、東京の4か所。「事件」の「首謀者」に仕立て上げられた、幸徳秋水の地元わが中村が最も早い。

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 3年前、幸徳秋水刑死百周年事業(実行委員長は当時の市長の私)の一環として、「大逆事件サミット」を中村で開き、全国各地で事件犠牲者の名誉回復と顕彰活動に取り組んでいる人たちが集ったさい、井原市からも「森近運平を語る会」の森山誠一代表においでいただいた。サミットでは、人権弾圧のない世界をめざしていくとする「中村宣言」を採択した。

今回の井原訪問は、その時のお礼と、今後の交流を深めることが目的であった。墓前祭の参加者は約80名。私も、あいさつをさせてもらった。

 その日の夜は、岡山市内に出て1泊。以前住んでいた付近を徘徊し、なつかしい「岡山ラーメン」を食べたあと、当時のジョギングコース県立運動公園にも。名物の大手饅頭を本店で買い、備前焼の里(伊部)をブラブラしたあと、大阪に着いた。

 大阪には2泊し、一息。いつもの大阪城公園を5周走り、体調を整え、名神高速に乗る。滋賀から岐阜県に入るとすぐの関ヶ原は、妻の父の出身地。曹洞宗妙応寺にある両親の墓に2か月ぶりに参り、親戚にもあいさつ。そのあと、飛騨へ。

 飛騨は山の中という印象をもっていたが、とんでもない。高速がつながってからは、関ヶ原からアッという間の2時間。奥から下ろうと思い、富山県境の白川郷に午後3時半に着いた。

期せずして桜は満開。ここは観光客であふれていた。しかも、中国、台湾、韓国語ばかりの。まるで外国にいるよう。地元の人に聞くと、平日は外国人、土日・祝日は日本人が多いそうだ。中村の天神橋はもちろん高知の帯屋町よりも賑やか。合掌造りの里という、ひなびたイメージは吹っ飛んでしまった。コンビニがないだけでもましか。やはり、雪のしんしんと積もった冬場に来るべきだったのかな~。

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 約50分かけ、Uターンして高山泊。翌日は市内めぐり。江戸時代の飛騨は幕府の天領。陣屋(代官所)跡を中心に、桜並木の宮川沿いに朝市が開かれている伝統的建物群保存地区(上・下三之町など)を歩く。春の高山祭は1週間前に終わっていたが、それでも多い外国の観光客。ここでは西洋系も目立ち、イスラエル一行にもぶつかった。高山祭りのきらびやかな屋台は、会館に展示されていた。

観光資源として、伝統的建物を保存した街並みの風情は、さすがである。同じ天領であった大分県日田市の豆田地区に似ていた。

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 夕方近く、隣町の古川(いまは飛騨市)にも足を延ばした。白壁沿いの、鯉が泳ぐせせらぎは、高山の「喧騒」をしばし忘れさせてくれる、やすらぎがあった。ここは、かつてNHK朝ドラ「さくら」の舞台になった。最近テレビでは見ないが、主役だった高野志穂のさわやかな笑顔がよかった。ロケに使われた伝統の和ローソク屋さんも健在であった。高山に戻り、もう1泊。

 翌日は、またもUターンで郡上八幡(現・郡上市)へ。途中、国道沿いの旧・明宝町で國田家の芝桜を見る。庭先の山の斜面一面に、最初は個人のおばあちゃんが育てた、芝桜がちょうど満開だった。

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 郡上八幡は長良川と支流の吉田川の合流点の谷間に小さく開けたまち。飛騨ではなく美濃。水路がはりめぐらされ、名水の里として知られている。ここでは、フォークグループ「笠木透と雑花塾」の1人、地元在住の増田康記さんに再会し、水路や城を案内してもらった。郡上一揆の記念碑(地元では宝暦義民と言う)や、山内一豊の妻千代の像(近説ではここが生誕地)もあった。 

「雑花塾」メンバーとの出会いは幸徳秋水の縁。2011年1月24日、幸徳秋水らが処刑された100年目の日の墓前祭にギターをもってかけつけ、墓の前で追悼の新曲「ポスター」をささげてくれた。「ポスター」はその後CDになった。彼らは、再び同年12月の「秋水平和コンサート~LAVE &PEACE」にも、地元中村グループに交じって、参加してくれた。

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 増田さんと別れ、次は犬山城へ。約40分。県境の木曽川を愛知県側に渡ったところの川沿いにあった。犬山城に立ち寄りたかったのは、中村の為松公園に建つ幡多郷土資料館(通称・中村城)の本家(モデル)だからだ。この城の天守閣は現存の城では最古で、国宝4城の一つ。天守閣の中に、古い石垣がそのままむき出しで残っているのには驚いた。古色蒼然とした美しさとは、このことか。真下に木曽川を望む立地は、四万十川と同じだった。

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 あとは、うす暗くなった東名高速を一路小田原へ、4時間。夜11時着。

小田原では、私が入会している「脱原発をめざす首長会議」に出席し、2泊。1日目は今年度総会と勉強会、2日目は小田原市が取り組んでいる再生可能エネルギー普及事業の視察であったが、ここまで長く書いてきたので、これについてはあらためて書きたい。


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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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