窪川原発

 このほど島岡幹夫さんを、窪川のご自宅に訪ねた。
 元 ・窪川原発反対町民会議代表。
全国で脱原発の運動に関係している人たちの間では知らない人がないくらい有名な人だ。島岡さんの話は聞いたことがあったが、直接お会いするのははじめて。

脱原発をめざす首長会議が9月6日(四万十市)、7日(高知市)で開く予定の講演会での講演と対談(相手・村上達也前茨城県東海村長)をお願いした。ご快諾をいただいた。

島岡さんはいま76歳だが、エネルギッシュで話し出したら止まらない。脱原発の話ならどこにでも行く。最近は、韓国やタイへも。

若いころは大阪府警の警察官であったが、地元に帰ってからは農業一筋。いまも6町歩の田んぼを奥さん、息子さん夫婦とつくっている。ちょうど田植えの最中。いま有機農業に取り組んでいる。奥さんの手作り納豆は評判。

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 窪川原発の話が最初に持ち上がったのは1976年。島岡さん38歳。島岡さんは自ら原発反対組織の代表を申し出る。のち町議に。根っからの農家の島岡さんがリーダーとなったことで、大地(台地)に根を張った運動が広がっていく。前農協組合長をかついで、さらに幅広い「郷土(ふるさと)をよくする会」もつくる。島岡さんらの主張は・・・

「窪川町は、農畜産80億、林業30億、縫製工場などの加工産業を合わせると150億近い収入がある、四国有数の食糧生産地。たかだか20億や30億の税収に目がくらみ、耐用年数30年程度の原発のために、2000年続いてきた農業を犠牲にするのは、愚の骨頂」

原発推進町長をリコールしたが、一転、その町長が住民投票条例制定を公約に掲げ復活。議会も四国電力による立地調査を可決。町を二つに分けた攻防が続く中、島岡さんらは集落単位の勉強会を開くなど草の根の運動を拡げる。そこに1986年、チェルノブイリ原発事故。議会勢力が逆転し、町長は原発関連予算の計上が不可能になり、責任をとって辞任。1988年、議会が原発終息宣言。13年間の混乱に幕が降りた。

 詳しくは
 http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/10-15fc.html
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/b97a99db7e3150802b442688a5321494

 島岡さんから、原発立地予定だったところを詳しく地図で教えてもらい、その日、はじめて足を運んだ。

窪川は台地の町。東西の両端は久礼坂と片坂、南の太平洋側は断崖がそそり立つ。わずかに興津と志和の二つの集落がある。原発立地は、この断崖の志和寄りのところに計画された。

細い、くねくねの急坂を降り、志和の港(防波堤)から、かつてスカイラインが計画されていた道を進む。現地までは道がないが、途中の岬からそのあたりが見通せた。

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その日は、紺碧の海に波一つなかったが、ここらあたりは、まさに南海トラフ巨大地震における津波想定最高値31メートルを記録したところ。土佐湾沖は地震の巣。仮に原発ができていたとすればどうなったかを想像すると、空おそろしい。

興津と志和は断崖で遮られている。いったん台地の上に戻り、興津側にも下りた。こちらの方が集落としては大きい。美しい海水浴場で有名だ。耕地は少ないが、いまは、ハウス生姜の産地になっている。

津波避難タワー建設、防災ヘリポート造成、保育所高台移転等の地震津波対策事業が着々と進んでいた。もし、これに原発避難対策(計画)まで加わると、大変なことになっていただろう、と思う。

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 島岡さんは言っていた。
「かつて原発推進派だった人たちからも、3.11後は、原発を持って来なくてよかったと、感謝の言葉をかけられる。」

いや、窪川の人たちだけでない。
高知県のみんなが守られたのだ。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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