管野須賀子

 管野須賀子は大逆事件で処刑された26人(死刑12人、無期懲役12人、有期刑2人)のうち唯ひとりの女性である。死刑だった。30歳。

その管野須賀子の「生誕133年記念のつどい」が7日、彼女がキリストの洗礼を受けた、ゆかりのある大阪天満教会で開かれたので参加してきた。

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 大逆事件犠牲者は全国に及んでいる。彼らの名誉を回復し顕彰する運動は、戦後いちはやく幸徳秋水の地元・中村で始まり、その後、新宮(和歌山)、井原(岡山)などでも行なわれている。中村と新宮では、市議会が犠牲者の名誉回復の決議も行なった。

3年前の2011年、中村では1年間を通して、幸徳秋水刑死100周年記念事業を行ない、9月には、大逆事件サミットを開いた。全国各地で、こうした運動に取り組んでいる人たちが一堂に会し、人権弾圧のない世界をめざしていくとする「中村宣言」を採択した。

100年目以降、運動は新たな広がりをみせている。山鹿(熊本)、小千谷(新潟)に犠牲者の慰霊碑が建ち、また大阪では昨年、「管野須賀子を顕彰し名誉回復を求める会」が結成された。7日の「つどい」は、この会が主催だった。

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 管野須賀子のイメージは暗く、不可解である。事件の真実は隠され、事件犠牲者は時の権力によって「極悪人」に仕立て上げられたことでは共通しているが、須賀子は女であったために、いっそうひどかった。

須賀子は大阪に生まれ、小説家、新聞記者、キリスト洗礼、社会主義活動と多彩である。女性の人権が認められていない時代において、男に伍して、男にもまれた。その過程で、同志(荒畑寒村)との結婚、離別、最後は秋水との同居・同棲・・・それゆえに「妖婦」「毒婦」と宣伝された。そのイメージから、私自身も抜けきれないでいた。

「つどい」は、2人の講演(天満教会牧師・春名康範氏、研究者・三本弘乗氏)、遺詠の短歌詠踊、歌とピアノによる生誕祝賀、と多彩な内容であった。私も秋水地元を代表して挨拶をさせてもらった。

須賀子は、日本における最初の女性記者(ジャーナリスト)であり、キリスト教を通した婦人矯風会での活動、公娼制反対等、女性の人権拡大に向けた論説などをみれば、女性解放運動のさきがけとみることができる。

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 四万十市役所庁舎2階の市立図書館内には「幸徳秋水資料室」がある。展示資料の中に、秋水と須賀子が一緒におさまった写真がある。また、獄中の須賀子が秋水の助命を願って出した「針文字書簡」(写し)、須賀子全集(全3巻)も。

処刑された時、秋水39歳、須賀子30歳。
いまでは考えられない若さで、あれだけの論陣を張り、多くの論説、文章を残している。どんな偉業をなしても、文字に残さないとその人の思想や考えは伝わらない。
文字の力・・・

このほど、新しい須賀子研究書が出た。
関口すみこ(法政大学教授)『管野須賀子再考―婦人矯風会から大逆事件へ』。
「つどい」でも並べられていたので、求めた。
一読をおすすめしたい。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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