熊野へ

 大逆事件では、幸徳秋水ら24名が死刑判決を受けた。(12名は翌日無期懲役に減刑)。このうち6名は紀州熊野の人たちであった。

中村と熊野は大逆事件犠牲者の名誉回復と顕彰活動を通して交流している。中村市、新宮市、本宮町の議会は、それぞれ事件犠牲者の名誉回復と顕彰決議をおこなっている。

四万十市が3年前、幸徳秋水刑死百周年記念事業を行なった際には、秋水墓前祭、サミットに、熊野から大勢参加をしてもらった。

私のほうも、2年前の3月、市長時代、新宮市で開かれた集会「大逆事件101年目へのステップ」へ参加した。しかし、この時は時間がなく、往復夜行のトンボ帰りだった。

 そんな中、6月21日、犠牲者の1人、僧侶高木顕明(無期懲役)の百回忌法要があるというので案内を受けた。今回は時間もあるので、ゆっくりとでかけた。

19日、車で徳島から和歌山へフェリーで渡り、田辺に泊まる。白浜、潮岬(串本)、那智の滝をまわる。どこも、はじめて。潮岬は本州最南端だが、断崖絶壁の足摺岬とちがい、思いのほか、おとなしい岬であった。一方、那智の滝は豪快そのもの。那智大社を含む周辺一帯が熊野信仰の象徴であり、異様な霊験を感じた。

 そして目的の新宮へ。

高木顕明は浄土真宗大谷派の僧侶で、浄泉寺(新宮)の住職だった。被差別部落の門徒が多く、差別や貧困問題に取り組む中で、平等・非戦・平和の独自の教義にたどりつく。極楽の世界には差別も戦争もない。親鸞の南無阿弥陀仏の教えこそ自分にとっての社会主義であると。仏教社会主義とも言うべきか。

しかしながら、大谷派教団は事件後、顕明をかばうどころか、逆徒として「擯斥(ひんせき)」処分(永久追放)にした。拠り所を失った顕明は獄中で自死。

それから82年後、1996年、教団は国家権力に迎合し、顕明を死に追いやった誤りを認め、顕明への処分を取り消し、名誉を回復。以後、教団の責任において、毎年法要を行っている。遠松山浄泉寺にちなんで「遠松忌」と言う。

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百回忌にあたる今年の浄泉寺仏前には「前(さき)を訪(とぶら)う - 今、この時代に聞く非戦・平和の願い」の横断幕が掲げられていた。「前を訪う」とは、親鸞の言葉「後に生まれん者は前を訪え」。

読経、「余が社会主義」(顕明の著書)朗読のあと、顕明の復権運動にかかわってきた泉恵機氏(長浜教区清休寺住職、大谷大学客員教授)の講演「鬼哭百年の春 高木顕明師を憶う」があった。「鬼哭」とは、霊が行き場を失い、さ迷い泣くこと。最後には、顕明の孫(故人)の奥さんから挨拶があった。

法要には、教団本部以下、地元門徒、私のような全国からの支援者など、約100名が参加していた。宗教行事とは、かくも力強いものか。すがすがしい心持になった。田岡実千年・新宮市長にも2年ぶりに再会できた。

顕明は言う。「社会主義は政治より宗教に関係が深い」、「社会の改良は先ず心霊上より進みたい」。宗教がめざす究極のものは社会変革であろう。

 熊野と幡多、新宮と中村はよく似ている。太平洋に注ぎ込む、熊野川、四万十川という大河の河口に開け、かつては流域の木材の集積地として栄えた。人口もほぼ同じ。県庁所在地からは遠く離れているが、誇り高い独自の文化をもつ。中央への反骨精神・・・そういった環境から時代の先をいく人物が生まれた。しかし、彼らは明治国家にとって「許されざる者」であった。中村からの上京途上、秋水が新宮を訪ねたことで、事件のフレーム(枠)がアップされた。

 ほかに、大石誠之助、峯尾節堂、成石勘三郎、成石平四郎、﨑久保誓一、6人全員の墓も案内してもらい、手を合わせた。

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 大逆事件犠牲者をうたった、笠木透と雑花塾のCD「ポスター」(5曲収録)の中の「川は忘れない」の一節・・・

  和歌山と三重を 隔てる川
  ゆったりと流れる 熊野川
  その川のほとりの 小さな石碑
  気にとめる人もなく 立っている
  自由を求め 歩き続けて
  濡れ衣を着せられ 国に殺された
  熊野の流れは あなたを忘れない

その熊野川を遡り、熊野本宮大社から奈良県十津川村を縦にのぼり、和歌山から同じフェリーで四国に戻った。熊野文化も川の流れも悠久である。100年前の真実が何であったのか、すべてを知っている。

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No title

お約束の、私のレポート今日(6月26日)送りました。遅くなりすみませんでした。田中さんの報告文は端的にまとめられており,わかり安く読ませていただきました。お人柄が表れていると思います。今後ともお元気でご活躍ください。ありがとうございました。

No title

お久しぶりです。6月21日の浄泉寺さんでの「遠松忌」でお会いいたしました大谷大学大学院文学研究科修士課程1年の上山 慧です。翌22日の熊野地方の犠牲者の墓参では、帰りの列車の時間や明日の学校の都合で、途中で抜け出すこととなってしまい大変申し訳ございませんでした。
現在、私は大学院で受講していますゼミでの発表へ向けて、その発表準備に忙殺される日々が続いております。その発表で私は、高木顕明と同じ真宗大谷派僧侶で、幸徳秋水ら12名の死刑執行にも立ち会った東京監獄教誨師であった沼波政憲という人物を取り上げることにいたしました。内容は、沼波の大逆事件死刑囚に関する証言である「幸徳一派の刑死刹那」と、事件後の真宗大谷派での事業のひとつである「無料宿泊所」での活動が中心となっています。沼波という人物は先行研究が少ないため、いささか苦戦しておりますが、良い発表になればと考えています。
拙くまとまりのない文章となってしまいましたが、再びお会いできることを楽しみにしています。
                   大谷大学大学院文学研究科 上山 慧 

No title

上山様 これまでにない視角であり、成果に期待しています。

No title

田中様 遅れましたが、わざわざコメントありがとうございます。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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