二人の墓 岡林寅松 小松丑治

 大逆事件の犠牲者は26人に及ぶ。死刑12人、無期懲役12人、有期刑2人。このうち高知県出身者は5人。幸徳秋水、奥宮健之が死刑、坂本清馬、岡林寅松、小松丑治が無期懲役であった。

秋水は日本を代表する思想家、ジャーナリストとして不動の位置を占めている。秋水は事件の首謀者に仕立てあげられ、「幸徳事件」とも呼ばれた。それだけに、秋水の名はよく知られている。

他の4人は、高知県人ですら、いまはほとんどが知らない。このうち、坂本清馬は事件最後の生き残りとして、1961年、再審請求裁判を行なったこと、また奥宮健之は自由民権運動家で著書(全集)も残していることから、この2人については、事件に関心をもつ方なら名前を聞いたことがあるだろう。坂本の墓は、晩年をすごした中村の秋水と同じ正福寺、奥宮の墓は、東京・染井霊園にある。

しかし、残る2人、岡林寅松、小松丑治については、よほど事件に詳しい者でないと知らない。埋もれた名前になっている。

 2人は、ともに明治9年、高知市生まれで、高知師範付属小学校の同級生。事件当時も、ともに神戸海民病院に勤務していた。岡林は医師志望、小松は事務だった。神戸平民倶楽部の主要メンバーとして活動する中で、明治政府によってフレームアップされた罠にはまった。「関西グループ5人」の中に含まれる。

2人は死刑判決を受けたが、翌日無期懲役に。昭和6年、仮出獄が許されるまでの20年間、長崎県諫早監獄の中で世から隔絶。出獄後も常に官憲が監視。周囲からの冷たい視線にさらされる、日蔭の生活を送った。

2人の墓は高知市内にあることは知っていた。しかし、私は、地元中村の幸徳秋水、坂本清馬の墓にはたびたび出かけているのに、同じ県内とはいえ、まだ行ったことがなかった。申し訳ないけれども、私の中でも2人はそれだけの存在であった。

 私は、今年になって、岡山・井原(森近運平)、大阪(管野須賀子)、和歌山・新宮(高木顕明)へと、事件犠牲者を追悼する行事にでかけた。そこでハッと気付いた。自分の足元の高知県の犠牲者を忘れているではないか。私は自分を恥じ、このほど2人の墓を訪ねた。

山本泰三著『土佐の墓』に載っている地図を頼りに探した。岡林の墓はすぐにわかった。小高坂山の北麓、新屋敷にあった。岡林家と両親の墓の隣、小さな墓であった。側面に、昭和二十三年九月一日没、七十三歳と刻まれていた。岡林は入獄直後に男の子を失い、妻とも離縁。大阪で戦災にあい、高知に帰郷。春野の妹宅に身を寄せていた。墓の周りはきれいで、筒にシキビがさされていたので、縁者の方がおられるのだと思う。手を合わせ、詫びた。

 DSC_2583.jpg     DSC_2579.jpg

小松の墓は筆山の林の中でわかりづらいときいていた。その通り、探すのに苦労した。地図にキチンとした目印がない。目星をつけて、道路から藪の中に入ったがわからない。結局、その日は諦めて、2日後、大逆事件研究者の別役佳代さん(香南市)に案内をお願いした。

別役さんも2,3年ぶりという。墓石が並んだ脇を、林の中に入る。夏草が伸び、マムシが出てきそう。大木が腐って倒れ、道を塞いでいた。少し迷ったが、暗い林の中の斜面に見つけた。父の墓、母の墓、小松家の墓と3基並んでいた。小松家の墓の側面に、兄弟妻たち6人の名が刻まれていた。丑治、昭和二十年十月四日没、六十八歳、事件当時新婚だった妻はるは、昭和四十二年三月二十五日没、八十三歳。極貧の中、丑治は京都で、はるは明石で死んだ。子はなかった。

墓は半分落ち葉に埋まっていた。周りには、苔むし、放置された墓石が傾き、ころがっている。その中では、小松の墓石はまだ新しく、しっかりしているほうだ。しかし、人が近づいた気配がない。無縁状態になっているように思えた。落ち葉を払いのけ、花を挿し、手を合わせた。

 DSC_2620.jpg     DSC_2613.jpg     DSC_2598.jpg

 DSC_2611.jpg     DSC_2610.jpg

 2人の墓の状態は対照的であったが、ともに県内では忘れられた存在になっていることでは変わりはない。

日本の近代史上最悪の冤罪事件、大逆事件からすでに104年。いまも冤罪事件はあとを絶たない。しかも、特定秘密保護法、集団的自衛権等、「お国のため」「愛国心」が再び喧伝されるいまは、100年前に逆戻りしたようだ。

3年前、中村で、幸徳秋水刑死百周年記念事業を行ない、大逆事件サミットを開いた。全国から事件犠牲者の名誉回復と顕彰に粘り強く取り組んでいるメンバーが集い、いまこそ人権弾圧のない世界を実現しようと「中村宣言」を採択した。これを機に、熊本、大阪、新潟等において、新たな運動が芽生え、広がっている。100年の時空はつながっているのだ。

しかし、高知県はどうだろうか。中村においては、全国に先駆けて幸徳秋水を顕彰する会ができ、毎年墓前祭を行うなど活動を続けている。しかし、この活動の対象は秋水だけ(坂本清馬を加えても2人)である。ほかの3人については、その業績を評価し顕彰する取り組みは、まったく行なわれていない。

もともと5人を一括してとらえ、評価するという視点がこれまでなかった。理由は、5人は高知県生まれとはいっても、若くして地元を離れ、よそで活動をした者ばかり。高知県が活動の舞台になっていないのだ。秋水宅で一時書生のような生活をした坂本清馬を除けば、秋水との直接的な接点も少ない。岡林は秋水に会ったこともなく、また小松も一度勉強会で会っただけである。

だが、5人は土佐人という根っこは同じ。自由は土佐の山間より。秋水に代表されるように、自由民権の息吹と風土の中で育ち、それぞれに思想と行動を深めていったことでは共通しているはずである。最期も同じだった。龍馬→兆民→秋水は深くつながっているといわれるが、他の4人も同じなのだ。

集団的自衛権で立憲主義に風穴が開けられたいま、日本は再び国権と民権のたたかいの渦中にある。そうした視点から、高知県として、あらためて大逆事件の真実に学び、今日的視点で5人を評価、顕彰することはきわめて重要であると思う。

特に、最も埋もれた存在になっている、岡林寅松と小松丑治。高知市内に眠っている2人の名を広く県民に知ってもらう必要がある。そのためにはまずは縁者を調べる。そして無縁状態になり放置されたままになっているとみられる小松丑治の墓の周辺整備を行なう。墓石によると、小松には兄と弟がいたようだ。民権運動研究者等に提案し、動いてみたい。

なお、私はまだ奥宮健之の墓を知らない。今度、上京するさい、染井霊園を訪ねたいと思う。

 DSC_2623.jpg

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR