四万十川の沈下橋

 沈下橋は四万十川のシンボルである。増水の時は、川に沈むことを前提に造られており、欄干など流れに抵抗するものは付けられていない。沈下橋は他県では、潜水橋、流れ橋などとも呼ばれているが、四万十川流域には47もあり、しかも大型のもの(最下流の佐田沈下橋は長さ292m)が多いのには、理由がある。

まず、川の増水や洪水がひんぱんであること。地元では、増水のことを「水が出る」と言う。長さ196kmの四万十川は源流も河口も高知県。くねくねと蛇行を繰り返し、多くの支流を集めながら、ゆったりと流れるため、河床勾配が低く、水はけが悪い。台風が来るたびに、年中行事のように、水が山から湧き出してくる。また、山の中を流れる割には、谷が開け川幅が広く、川面に沿って人々の暮らしがあること。流域は農林業中心で人口も少ないことから、地元の財政力や経済効率から見て、大きな橋(抜水橋)を架ける意味は少なかったといえる。

歴史的にみても、流域は舟運が中心であり、橋というものは必要がなかった。主産業であった木炭や木材のほか、日常生活物資、そして人間様も「せんば」とよばれる川舟や筏で運ばれたことから、橋はその通行の邪魔になる。対岸には舟で渡ればよい。つい最近まで、小学校に通う「学童の川渡し」が残っていたくらいである。

沈下橋が造られたのは、生活の中から木炭が消えるにつれて、舟運がすたれてきた1950,60年代である。以降、地元では沈下橋は当たり前の風景となったが、1983年、NHKテレビが放送してから一変。四万十川は、小学校の教科書にも載るような、「日本最後の清流」になってしまった。

 そしていま東日本大震災。巨大防波堤、防潮堤を軽々と砕き、乗り越え、原子力発電所をものみこんだ大津波。自然の猛威の前には、人間による制御など到底及ぶものではないことを思い知らされた。およそ100年に一度、必ず発生する次の南海地震対策として、私も東北被災地を視察してきた。石巻市の北上川下流域は四万十川と地形がそっくりであった。

北上川では、津波が上流50kmまで遡上。堤防決壊、越流等による住宅地や農地の浸水は上流12kmまで。大きな鉄橋(新北上川大橋、566m)も一部が流されていた。国土交通省の河川管理では、堤防や橋は洪水を前提に造られていることから、川を逆流してくる津波には弱いことが露呈された。

 四万十市(旧中村市)は、1946年の昭和南海地震で死者291人、負傷者3,425人を出したが、大半が建物倒壊によるものであった。

四万十川は治水上、大変やっかいな暴れ川であり、支流の中筋川、後川を含めて1級河川を3つも管理しているのは、全国でも四万十市だけである。何度も氾濫を繰り返し、その生活の中で沈下橋もつくられたが、津波の経験はない。だが、次の南海地震が東南海地震、東海地震などとの連動型になれば、確実に津波が川を遡上してくるものと思わなければならない。しかしながら、その対策に決め手はない。とにかく逃げることである。山や高所への避難道の整備と避難訓練に重点的に取り組んでいる。

 一昨年、四万十川流域全体が文化庁から重要文化的景観に指定された。文化的景観とは、人々が自然とかかわる日々の暮らしの中で造り出した風景のこと。四万十川では、棚田、沈下橋、伝統漁法、川漁師など、自然と調和し、共生してきた生活の姿が構成要素とされている。

すでに1998年、高知県と四万十川流域自治体は、沈下橋を「生活道に加え、生活文化遺産として後生に引き継ぐ」とした「四万十川沈下橋保全方針」を策定。架設後40~60年たち、今回流失したように劣化が進んでいる沈下橋であるが、今後も復元に努めることにしている。

生活に使う火力(エネルギー)の転換(木、木炭→石油)とともに登場した沈下橋。そしていままた、原子力依存からの脱却を迫られている日本。

 四万十川の沈下橋は、あるがままの自然を受け入れ、逆らわず、自然と共生する暮らしにこそ、われわれの未来があることを教えてくれている。

農林中金総合研究所「農林金融」
787号(2011年9月)への寄稿


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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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